備忘録

美々矢のヲタ活に関する悲喜こもごも。

推しがいるほうの人生のこと。(前編)

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前編

三つ子の魂百までだねって話。

 

 

 

思い返すと幼少期から、誰かにのめりこんだり、ハマったり、そう、「推し」続けてきた。

病める時どころかスーパー健やかなる時だって、推しがいないと生きていけない。

太宰ふうに言うと、「推しの多い生涯を送ってきました…」といったところだろうか。

 

だからけっこう大人になるまで、他の人にも普通にそういう存在がいるんだと思っていた。

当然サンタクロースはいるんだと思ってたら、保育園で「サンタなんていないよ。あれおとうさんだよ」って言われて、え、あなたにはいないの? 私にはいるけど?ってなった気持ちに似ている。

 

「うーん、私、特に誰かにハマるとか追いかけるとかって、今までないんだよね」

と友達が言うのを聞いて、そうか、言うのが恥ずかしいんだな。無理には聞くまい…と思っていたけれど、マジでいないっていうことがあるんですよね。当たり前だけど。

 

社会人になってとても親しくなった友人の一人がまさにそういう子だった。

ドラマも映画も観るし、その都度「あ、この俳優かっこいいな」と普通に思ったりはする。気に入ってるバンドはあるけど、別にファンクラブに入ろうとかコンサートのチケット取れないとむり死ぬとか思ったことはない。もちろん新譜もリリース日に待ち構えて聴かなくたって死なない。ていうか我々オタのように、そんなたやすく死ぬとか言わない。漫画も読むけどストーリー重視で、キャラに思い入れとかちょっと理解できない……等々。

 

私はその友達に、

ーえ、休みの日なにしてるの。ていうか家に帰ってからなにしてるの。辛いことがあったとき何を支えに生きているの…? 

というようなことを質問攻めにした記憶がある。

だって誰にもハマったことがないって、意味が分からなかったんだもん。

別にバンドマンとかジャニーズとか、宝塚トップスターとか、俳優とかモデルとか、アニメとか漫画ととか2.5次元とか、メジャーなものじゃなくたっていい。同性異性、国籍、年齢、二次元三次元、存命他界…何でもいいのよ、誰かしらいるでしょうと。お願いいるって言って。

しかし彼女は、

 

「何って…やることいっぱいあるよ。普通に楽しいことするでしょ。てか逆になんで辛いことがあったときに見ず知らずの人が心の支えになるわけ。お母さんに電話するし」

 

というようなことを返してきた。

 

おおお…見ず知らずの人……そうだよね。なんかわからなくはない…言ってることはわからなくはないぞ……お母さんに電話…だ、だよね……うん、するする…する、が…でも、普通に楽しいことって、なに。ふ、普通…?

 

普通に楽しいことってなに、の部分は、声に出ていた。

お互い、解せぬ、という顔で向かい合う。

 

「旅行とか…友達と飲むとか。いい感じの場所で美味しいもの食べたいし、コスメも洋服も大好きだし」

ーうん…いや、私だってそういうのも好きじゃん? 楽しいことはいっぱいあるけど推しってそういうのと違わない? あと家族に話せないようなこととか、話しても元気にならないこととかあるじゃん。

「違わない?て言われてもね。まあ私、現実世界の人にしかときめかないし…」

推しだって現実の延長だよ…今の自分そのものじゃん……

「ちょっと意味が分からない」

ーごめん今のは後半ちょっとスピ入ったわ

「だよね」

ーうんごめん。推しを愛でる自分も現実を生きています、ということが言いたかった

「わかるけどわからない」

 

って感じの会話でした。

推しだって現実の延長だよ”という言葉はいまだに「あれは意味わからんかった」と、謎の迷言として蒸し返される。どこがわからんのか私もいまだにわからないけどな!

 

ソフィーの世界』の冒頭を、意味わからなさすぎて何度も読み返しながら読み進めていった中学生のときの感覚を思い出した。

価値観の違う話、概念から理解できない話は、理解する気でちゃんと聞かないと頭に全く入ってこないんだよね。

 

ーでもいつか誰か、これはって人に出会ったらハマるかもよ?

「美々が誰もハマる人のいない状態が想像できないように、わたしにもないと思う」

ーそうか

「これ、出会いとか状況の問題じゃないと思うんだよ。自分には素養がない。ハマらないものはハマらない」

ーなるほど…

 

 

 

そういえば、わたしはいつから”推しがいるほう”の人生だったんだろう。

記憶を巡らせると、最古の推しに行き当たった。

 

 

生まれてから物心ついて以降、私の一番古い推しの記憶は、NHKの幼児向け教育番組『おかあさんといっしょ』の冒頭で放送されていた看板コーナー、着ぐるみによる人形劇の『にこにこぷん』に出てくる、”じゃじゃまる”というキャラクターだ。

そう、あの赤いチョッキ着てた、でべその、猫のようなトラのような動物ね。

 

力持ちで威張りん坊、ジャイアン的なキャラクターで、いじめっこっぽいかと思えば、義理人情に厚かったり、親分肌なのにちゃらんぽらんで陰でバカにされてたり、なんだかんだ憎めないよね~の典型的設定。

なんか酒焼けしたような声だった気がする。いまwikipediaで調べたら、本名は袋小路じゃじゃ丸で、身長は220cmだそうです…ていうかキャラクター設定の細かさすごい。推しだったのは幼児のときなので、各種設定いま初めて真剣に読んだわ。「母親とは生き別れ、早朝の牛乳配達など、子どもらしからぬ苦労人だったりもする」…って、にこぷんワールド、そんな世界だったの(驚)。

万一興味あれば見てみてください。

 

ちなみに正直じゃじゃまるのような男は、今はこれっぽっちもタイプではない。いいなと思うのは、歯が立派なところくらいかな。物静かで綺麗好き、上品でスマート、そのうえ洗練されていて、あまり他人に干渉しない男が好きです。

でも、幼いわたしはじゃじゃまるに夢中だった。

推し」と言うからには、お気に入りとかファンとか、そういうレベルじゃない。その当時から既に、なかなかの執着をみせていた。

 

毎日放送時間前は、今で言うところの正座全裸待機(実際風呂上がりにパンツ一丁でにこぷん観ている、子どもの私の写真がおばあちゃんの家にあった)。

「じゃじゃまるが映ると食い入るように見ていたよ、ていうかほぼ3匹しか登場キャラクターいないんだし、毎日放映してたけどね。あの情熱なんなんだろうね。まその間静かにしててくれたから助かったわ~。じゃじゃまるに子守りしてもらってた」とママが言っていました。

息をひそめて、微動だにせず、推しだけをじっと定点観測するの、この頃からそうなんだと妙に感心しましたね。

 

ママとパパは私に国際的な感覚を養ってほしいと、セサミストリート推していたけど、洋モノはぴんとこなかった。やっぱり私はこの頃から東アジアのエンタメが好きだったみたいだ。

 

ある時、クリスマス近くに家族でデパートへ行ったら、いつのまにか私がいなくなっていたそう。

よくある迷子のパターンですね。親が目を離した隙にどこかに行ってしまって、はぐれる、という。

慌てて探したけれど見つからず、迷子のお知らせのアナウンスも流れてこないから、どこぞの売り場で保護されたりもしていないのだろう。

え、誘拐?と焦る両親。店員さんも巻き込んで探すけれども、泣きながらママーママーと彷徨う子どもは見つからない。あれ…、これもしかして警察呼ぶやつじゃね?となったところで、パパがふとある一角を見て、

「あ…!」

と指をさした(このくだり二万回くらい聞かされたので、全く覚えてないのにすごいドラマチックに再現できる)。

 

そこにはワゴンに積まれた大量のじゃじゃまるのぬいぐるみ。その中のひとつを腕にしかと抱え、どっちりと立ち、じゃじゃまるの山を静かに見上げる子どもが。わたしだ。

子どものマネキンかというくらい微動だにせず、恍惚の表情で立ちすくんでいたそう。

ちょっと息してないようにも見えた、というのはママが誇張して言ったとは思うけど。

そこの前も何度も通ったのに、誰も気づかなかったという。後にパパ曰く、気配がなかった、と。

「美々ちゃん!!」「こんなところにいたの!」「だめじゃない!!」と駆け寄る両親に振り向きもせず、

「…じゃじゃまる………」

と一言だけつぶやいたそうです。

こっこれは…となった親は、娘がその腕にしかと抱えているじゃじゃまるを、そのまま買い与えた。帰りの車中で私は、自分の体くらいあるじゃじゃまるをしかと抱きしめ、「じゃじゃはかっこいい」「素敵」「服がいい」とかひたすらじゃじゃまるに向かって褒めていたそうだ。

服がいい。謎。

 

ちなみに現在の推しであるところの、レイちゃんやテミンが踊っているのを観て、そのときどきで隣の席になった友人に「息してないかと思った」とよく言われるんですが、ただひたすらに、”三つ子の魂百まで”っていうワードが脳内を駆け巡るよね。

オッパと友人がコンサート後に「美々の、推しのなんかすごいもの見てる時の、カッチーンてかたまるのすごいよね。しんだかとおもった」「大丈夫ですよこの人いつもじゃないですか」っていつも話してるのを聞くとき、じゃじゃまるの話思い出します。

ていうか推しが素敵な服を着ていないとテンションがあがらないのもこの頃からなのかなと、いま、ふと思いました。服がいい…うん、大事。

 

実家にある、当時読んでいた絵本を見ると、じゃじゃまるらしき生命体の落書きがいたるところにある。なかでもノンタンミッフィーの絵本には、強火な行為が見て取れる。

ノンタンミッフィーのイラストの顔の上にじゃじゃまるが勢いよく描いてあって、ちょっと狂気すら感じるのだ。「みんな推しにな~れ~~!」みたいな感じだろうか。

「じゃじゃまる原理主義だ」と、オッパはおののいていた。

顔の上にでかでかと、まるで上書きするように描かれているのは、そういうキャラものの絵本だけ。グリム童話的なものとか、油画っぽい挿絵のものにはもっと控えめに描かれていて、幼心ながらにキャラっぽいものどうしだとカテゴライズして、「ノンタンは競合…ミッフィーは他社……」みたいなことを考えていたのだろうか。コイツ潰す!みたいな? しゅごい。強火。さすがに今はない。

本だけじゃなく、あらゆる持ち物にも見つけることができる。

もはや自分のサインにしているといったところだ。じゃじゃまるはそのまま私のしるし、じゃじゃまるイズわたし!!の境地。

 

ちなみにじゃじゃまるが、番組の中で他の女性出演者(紅一点のピッコロっていうペンギンの共演キャラとか、歌のお姉さんとか、収録にしていた幼児とか)と絡んで焼きもちをやくことは一切なく、また自分のお友達がじゃじゃまるを好きでもライバル心を燃やしたりはしなかったようだ。この辺も今と変わらない。

じゃじゃまるのプライベートやプロフィールはどうでもいい。ただカッコよくカッコいい服で番組に出るということさえ全うしてくれればいいし、自分以外のファンなんてマジで究極にどうでもいい。

ステージに立つじゃじゃまると私の世界しかありません。

あれ、これなんかデジャヴだな完全に。

 

 

それからのことを思い返しても、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人へと成長していく中で、常に夢中な誰かがいた。

人生で、ハマる人のいない状態が訪れたことが本当にない。

中学生くらいのときには既に、何かしらのリリース情報、出演情報、掲載情報、コンサート情報をもとに生活の予定と年間予算を組むというスタイルが確立していたのだ。

 

 

ちなみに、ファッション的な意味での推し…スタイルアイコンも常に存在した。自分がどう装おうか考える時、誰かをお手本にすることが多かった。

「俺が時代になりたいんで、誰かのマネなんかしないっすね。流行は発信する側にならないと」みたいなフォロワー10万人以上いるようなインスタグラマーにはなれない。自らを発信する才能はまったくない。なんか先天的なものの域な気がする。多分脳のつくりから違うんだと思う。誰かを崇める才能なら、3歳で博士号レベルだと思うんだけどなー。

 

 

ファッション面で中高生のとき憧れていたのは、安室奈美恵さんと、MALICE MIZERのMana様。

このとき既に、人生の中での推し最長であるところのハイド様が、絶対神として既に私の脳内というか精神世界に君臨していたので、本人たちが推しだったというのとはちょっと違うのだけど(この辺はうまく説明できない)、とにかく2人のスタイルに憧れていた。

とんでもない組み合わせだし、なんでわたしこんな、国民的どメジャーギャル路線の安室ちゃんと、暗黒ゴス代表みたいなMana様の2人が同時にスタイルアイコンとして存在してるんだろ…思春期だから色々カオスってことでいいかな?って逡巡したけど、今になって思うと、むしろなんとなく親和性はあると思う。

 

安室ちゃんに憧れて、眉を細くして、白っぽいリップを塗って、ペンケースとサンダルだけフィオルッチにしていた。服は買えないから。私は北国の育ちなのだけど、雪深い真冬でも15cm(以上だったかも)のニーハイブーツに、黒のロングコートをひらひらさせていた。

「すっごく危ないとおもうよ…」と、友達に心配されていた。

真夏でも15℃を切る日がざらにあるけれど、キャミソール1枚でヘソ出して、タトゥーシール貼ってワイヤーチョーカーみたいのして、喜んでましたね。中2の誕生日には、カルバンクラインのスーツを買ってもらって、超小生意気にアムラーを気取っていました。

ちなみにサムさんとの結婚記者会見のあとは、黒のハイネックニットにミニスカをキメましたよもちろん。今も超可愛いよね安室ちゃん。

 

ゴスロリに関しては、お金を貯めては通販でそういったブランドの服や小物をせっせと買っていた。

アムラーの数倍社会的立場は弱い。

下妻物語』も公開前、先日休刊した『ゴシック&ロリータバイブル』も刊行前。

ご近所物語』を読んで、東京にはああいう変わった格好の人がいるのかもしれないね、くらい認識している子はいたけれど、お茶の間でもメジャーなアイコンタレントもいない。今でこそ「クールジャパン」とか言ってゴスロリ少女が担がれたりして(あれ超へんてこだよね)、コンテンツとして輸出もされたりして、街中で見かけても珍しくもなんともないけれど、当時のど田舎でよくやってたなーと、我ながら思います。

 

だから高校で東京に修学旅行に行った時には、「ごめん…私、どうしても行きたいところがあるの……」と、1人別行動をして、Mana様が手がけるブランド『モワ・メーム・モワティエ』のブティック(あえてショップとは言わない)に行った。みんなはディズニーランドへ。

朝からとても緊張していた。修学旅行だけど、少しでもゴスっぽく見える服を…と思って、鞄に詰めてきた黒のブラウスを着て、一人で電車に乗った。

あのときの高揚感は何度でも思い出せる。そのブティックは、表参道駅のケンタッキーがある出口からすぐ、246から小道に入った一角にひっそりと佇んでいた。

スマホもグーグルマップもないから、『KERA!』に載っていた地図の切り抜きが頼りだ。

ひとりで東京を歩くのだって初めてなのに、憧れのあそこに行きたい!という情熱ってすごいなーと思う。

 

雑誌でしか見たことのないゴスな世界観が広がるお店。しかも憧れのMana様の手がけたお洋服が並ぶ。嬉しいけど緊張が勝る。ラックに近寄ることができない。

店内の静謐な空気を吸い込むだけで涙が出そうになる。

何度も想像して、穴が空くほど写真を眺めて、脳内にだけ存在していたゴスロリの楽園がそこに広がっていた。東京のゴスロリたちは、ものすごくイケていた。ニューバランスのスニーカーできた自分はとても場違いに感じた。

シャンデリアには蜘蛛の巣がかかり、試着室は棺だった。とても凝った世界観に、溜め息が出た。別にディズニーランドなんか行かなくたって、ここが私のワンダーランドだわって思った。

 

ゴスロリのお洋服は高い。そして各種付属アイテムが多い。コルセットだけで4万円くらいしたりする。「買えるものだけ買ってあとは何かで代用…」なんてことをすると、わかりやすくしょぼく仕上がる。ちゃんと揃ってない戦闘力の弱いゴスロリスタイルは自分が一番悲しくなるし、こんなのはMana様が認めないだろう…と思った。

ブラウス、スカート、パニエ、コルセット、ヘッドセット、チョーカーとか眼帯などのアクセ類、バッグ、タイツ、靴、ウィッグ…と全身揃えていくと、普通にハイブランドでお買い物したのと変わらない金額になるのだ。しかも派手なつけまやラメが入った真っ黒なシャドウ、血糊みたいな色の口紅など、普段のメイク道具と兼用できないようなものを買いそろえるのも、もまあまあひと財産かかる。

 

それも後に捨てる日がくるんだけど、ゴミ袋につめながら、いつも”あの日”の自分を思い出す。

 

で、そんなものを一式修学旅行生に買えるわけがなく、黒いニット編みのハイソックスと、黒地に青い糸でブランドロゴが刺繍されたレースのハンカチを手に取るので、とにかく精一杯だった。

真っ白い肌に黒い長い髪、赤い口紅の映える店員のお姉さんが、にこりともせず手渡してきた。痺れた。

Mana様のお店でMana様の手がけたモノが買えたんだ…と、本当に感動してしまって、しくしく泣きながら246沿いを歩いた。

高校を卒業後、上京してもう20年くらい経つ。毎日都内を走り回っているし、それこそ表参道なんて週に何度行くかわからない。だけど、あの日私が歩いたキラキラ輝く表参道は、今の私が知っている表参道じゃない。あれはあの日にしか現れなかった、二度と行くことができない表参道だと思う。

 

ハイソックスとハンカチ。ゴスロリのお洋服や髪飾り、バッグは沢山捨ててもう少ししか残っていないけど、その2つはいまだに持っているし、きっと一生捨てないだろう。そして、こんな買い物は、もう一生できない。

ラッピングの袋に貼られたブランドのロゴがついたシールは丁寧にはがし、ラジカセに綺麗に貼り直して、見るたびに嬉しくなったりしていた。

だから社会人になって、「これ、全部ください」と全身さくっと買った時は本当に感動した。

その頃にはもうMALICE MIZERは活動休止していたし、私自身だいぶそういうのが似合わない歳になっていたけれど、何だか一度買わなければ…という謎の使命感があったのだ。

店舗は新宿のマルイに移っていた。ひどく味気なかった。

でもこんな大きなショッパー、あの時の自分が見たらひっくり返るだろうなって思った。

シャネルで買おうがディオールで買おうが、ぴゃっとリボンほどいて、ショッパーは適当に捨てるか、クリーニングの洋服を適当に入れるものでしかない。ただの紙袋だから。大人になるって最高だけど、失われるものは確実にあるよね。

 

中、高と、アムラーとMana様のフォロワーの間を反復横跳びした後、大学で上京してからは、ラフォーレ原宿の地下のゴスロリブランドでバイトした。

 

でもしばらく働いてみて、なんか違うなと思って、なんの未練もなくさっさと辞めた。

そのブランドはMana様の世界でなはいし、そこには憧れでなく労働しかなかった。

私はゴスロリが純粋に好きな訳ではなかったのだ。

ましてそれを人に勧めたり、商売したかった訳でもない。

Mana様が好きだっただけ。Mana様が纏ってこそのゴスロリだ。

ゴスロリそれ自体に傾倒していたのでなく、Mana様ありきの、だったんだ。

今になって思うと、安室ちゃんにしたってそう。

雪のなかであらゆるリスクを冒してもいいと思うほど、15cmヒールのブーツを評価していた訳じゃないのだ。安室ちゃんのスタイルが好きだっただけ。

 

だからやっぱり、わたしの世界は推しという誰かがあってのものなのだ。

 

ファッション的な推しは、自分の加齢や体型の変化にも左右されるところがある。職業によっても。そして年々、自分のスタイルが確立されていく。だから今は特に誰かのマネをするということはない。

推せる…!っていうデザイナーありきでその人が手がけるブランドに注目したりするのは、相変わらずの、私の中で応援が発生する順序だなーと思うけど、自分自身が纏うかどうかとは切り離して考えるようになった。

 

 

所謂「推し」の話に戻そう。

 

 

じゃじゃまる以降、推している期間として最長なのは、先ほどもちらりと出た、小学生から今もなお信望している殿堂入りの推し、ハイド様。

もう、一方的に人生をともにしている感じがある。人生の半分以上、一緒にいる。

 

まあまあ厳格な家庭に育ったので、小学校に上がってからは一日のうちテレビを観ていい時間は決められていたし、テレビを観てはいけない曜日もあった。

小学生の時に、金曜の夜だけは食事しながらテレビを観てもいいことになっていた。

毎週楽しみにしていたMステ。今日は誰が出るのかしら、と観ていたら、そこに神は光臨なすった。

春の訪れ。ボッティチェルリの春とか、ヴィヴァルディの春とか、世界中にある、あらゆる美しい春を描いたものが脳内を駆け巡るような世界だったよ本当に。この世のものならざる美しい姿に目を奪われ、以来ずっと追いかけている。

ハイド様がミサ(ライブ)を開かれるならば、国内のあらゆる場所はもちろん、海外公演にも参戦…参拝した。現場に行けないものも電波ミサ(ライブ配信)でカバー。彼がラルクとは別にやっているバンドのライブもくまなく詣でて、「神さま…」と手を合わせている。

ハイド様の話はそれだけで千夜一夜かかるので、このくらいで。

 

 

幼少期のじゃじゃまるは別としても、わたしは今まで、自分から推しを卒業したことはない。

向こうが引退したり解散したり、亡くなったりしたことはあるけれど、彼らの活動途中で自ら降りたことはないのだ。次の作品が楽しみ…!ということのエンドレスループできている。

 

ただ、熱量はもちろん徐々に落ち着いていて、好きになりたての、「強いやつドーピングしまーす!」って感じの、もっともっと!って燃え上がるような中毒症状から、ずっと穏やかに接種しているサプリみたいになるといったところかしら。そもそも向こうも歳をとってくるから、売り出し中の新人みたいに露出も多くなくなってくるし、リリースも減って金の使いどころがそんなにない。ラルクに関しては数年に一度しかコンサートやりません、て感じなので、閑散期は旧作や過去の姿を思い出して愛でることはできるけれど、物理的にリアルタイムでの活動はそんなに充実しない。

 

で、バンギャとして円熟味を帯びてきたところに、アジアのスターたちが現れたわけです。

まったくヒマになんねぇな。

好きなものがどんどん増えていく。

寿命さえ足りれば、最終的にこの世の森羅万象あらゆるジャンルに推しを見つけてしまうのではと、自分が恐ろしい。

 

ちなみに結婚相手は、自分と同じくらいハイド様を信奉する男性を選んだ。

色んなジャンルにそれぞれ推しのいる私と違って、ティーンエイジャーの頃から、唯一神ハイド、な人だ。

コンサート数日前から緊張で吐きそうになってる夫を見ると、ああこの人にしてよかったなと思う。

なかなかいいチョイスだったと思う。

初デートで、今までリリースした曲で好きなもののランキングを、アルバム1枚1枚についてやった。

くっそ時間かかって、飲み屋の閉店間際までいたような気がする。

「ほう、なるほど…」「そうきましたか…いや、わかるよ…」と、なんか趣味とか特技とか、ましてや仕事内容とか聞くよりも相手をプロファイルできるなーと思ったりした。

 

夫は私を、私は夫のことを愛しているとかとは別の次元で、推しを見て救われる気持ちとか、とにかく見るだけで幸せになったり元気になったりする気持ちとか、ステージでの頑張りに胸がぎゅっとなってベッドでのたうち回るとか…を、理解し合っているのは大切なことだ。

でもだからって、推しに対して恋愛感情を抱くこともないっていうのもわかっている。

ま、冗談で「ハイドになら抱かれてきてもいいよ!」って夫に言うことはあるけれど(笑)。

 

 

ていうか推しがいないと生きていけないライフスタイルやその価値観を理解する相手でないと、結婚とか無理だったと思う。

コンサート行かないで家事やれとか言われたら、しねと言われた…と思うだろう。アイデンティティの全否定だ。

はたまた、結婚したのにいつまでも芸能人なんかにハマって…とか言われたら、戒律の異なる宗教の人なんだと、お別れを申し出ただろう。相手だって幸せになれない。

わたくしとしましても、ラルクの曲を世界一いい音で聴きたいと言って、「えーそこまでする?^^引」っていう音響設備をせっせと整える夫に対して、無駄遣いするななんて言いませんよ。だから夫だってうまいことぴったりの妻を見つけたんだわ、よかったじゃねーか。お互い様だ。

もう世帯がひとつになるし、CDは一家に一枚でいいんじゃないか、ということを話し合ったこともあるが、「いや、でも聖書って一人一冊持ってるよね…?」と、二人それぞれに買っている。

最近はCDって3パターンとか出たりするし、そのうえitunesでも落としたりすると、夫婦合わせて同じ音源に6回も金を落としていることになる。一人一冊の聖書どころではないかさばり方だ。

20万円のDVDボックスはさすがに1セットだけにしておいた。

 

 

もう生活環境も推しを追うために整い、こうなったら、ライフスタイルが変わることはそうそうないだろう。何かをつねに熱をもって応援していくんだろうな。

って思っていたら、前回のブログから数日間、はじめて『道半ばで、推しをひとり、失うかもしれない』という緊急事態に陥った。Twitterも初めてちょっぴりお休みした。

そうです某レイちゃんのお話です。

どうなる美々矢、続きは後編で。

 

 

おまけ

このブログのど頭に戻るが、うちのパパとママは、けしてサンタは自分たちであったと口を割らなかった。

ちなみに娘が30代半ばにさしかかった今もなお認めない。すごい。すごい変わってる。

「え?いや、本当にサンタさんきてたから。ね、ママ?」「うん、きてたよ?」

と、ものの見事に2人してしれーっと答え続けている。

なので、私のところにはもしかしたら本物がきていたのかもしれない。なにせ本人たちが認めていないのだから。いないもんはいない。パパとママがいないと言ったらいない。疑ったら侮辱罪で国会に証人喚問するぞ!

 

保育園や小学校で娘がからかわれるかもしれないリスクをとってまで、頑にサンタは来ていたと言い続けた親の教育方針は興味深いところだ。

ただ、「サンタさんご褒美持ってくるから頑張ろうね!」と言われると、とっても元気が出たのは間違いないから、私に言うこときかせるには、いい具合に効いてはいたのだと思う。

ちなみに叔母もいつだったか、「あんたのところにはサンタクロースきてたよ」って言ってた。

どういう意味で言ったのかな。

 

小学六年生のクリスマス。もう来年には中学生。「サンタクロースはいるよ、だってうちにきてるもん」なんて言うと、ネタだと思われて逆にいじめられない年齢になっていた。

私だって99%いないと知っていた。でもいたらいいなとは思っていたし、笑ってしまうけれど、1%はいると信じていた。いつまでくるんだろうなー、サンタさん。なんて思いつつも、なんとなく、ここが本当に子どものおわりだ、と感じていた。

そしてクリスマスの日の朝、これまでと同じように枕元にプレゼントはあった。

だけどそこには、いつもの年にはなかったものが添えられていた。

英語でメッセージが書かれた1枚の絵ハガキだ。

そこにはこう書いてあった。

 

親愛なるみみやちゃん

これまで毎年、ぼくを信じて待っていてくれてありがとう。

ざんねんながら、ぼくがこうして君にプレゼントを持ってくるのは、これが最後です。

これまで毎年きみの成長を見るのが楽しみでした。

もうきみは、子どもではありません。

でも約束します。きみに子どもができたら、またきっとぼくはやってきます。

ありがとう、さようなら。

サンタより

 

朝からわんわん泣いた。

小学校六年生って、あらゆるものの正体がもうわかっている、けっこうな大人だと思うのだ。

なのに、サンタさんいかないでーって、朝ご飯をたべながらわんわん泣いた。

実際に会ったことはないけれど、なんだか心のなかで繋がっていて、時折支えになる、ずっと大事なひと。そういう存在が失われたような気がした。

あー、子どもじゃなくなっちゃった、っていうさみしさがあったのかな、なんて思うのは後づけ。

未だに、親が「みみはサンタから手紙もらったからなー」なんて言うもんだから、ちょっと心のどこかで、サンタさんに見守られているような気がしちゃう。

 

実生活と関係のない存在を尊び、心の支えにする素養が培われたのって、こういうのもあったりするのかなー、なんてふと思ったのでオマケでした。

 

すいませんけど、サンタクロース信じています。

あなたがたの家にはきていなかった。たしかにご両親がプレゼントを置いていたのでしょう。

でもウチの実家は違いました。私のところにがサンタさんはきていました。

だから私にとっては、存在します。

 

推せるぜサンタクロース。

(おまけが長いな)